来し方を振り返る視線が少々オジン臭いけど、さすがの一冊おすすめ度
★★★★☆
夏目房之介の手塚治虫論は、私にとって衝撃だった。それ以前のマンガ論では四方田犬彦『クリティック』所収の諸論考(これは同じ著者の『漫画原論』より格段に面白い)のテクスト論的な手法に惹かれていたが、夏目は実作者としての経験に立脚した表現論の可能性を示した。マンガ言語とでも呼びたい固有の表現様式に着目する点では四方田の近傍に立ちながらも、夏目には「描く」側から考えている実践性を感じた。生々しかった。言語を考えるための参考になるようにも思えた。
その後、夏目は形式化を推し進め、本書中でも「画期的なマンガ表現論」(p192)と自画自賛する『マンガの読み方』(1995)に到達する。ただ私は、それを買いはしたが拾い読みしただけだった(だってアナタ、辞書を読みます?)。 だから『マンガと「戦争」』(1997)が出たとき意表を突かれる一方、どこかで「やっぱりな…」とも思った。本書中で夏目は、自分はあの時、表現論的な手法の限界に突き当たったのだという言い方をしている(p187)。
それ以降、私は夏目の本をあまり読まなくなった。憑き物が落ちた夏目に、強い関心を抱けなかったのだ。
本書は、いわば夏目がこれまでの自分の仕事の変遷と意味を振り返る形での「マンガ学」入門だ。率直に言って、かつて新たな表現論を切り拓いていた頃の熱気はない。竹田青嗣への親近感表明も、まあ、落ち着くところに落ち着いている気がする。バランスが良すぎて、ある意味退屈。ただ、さすがに言うべきことは言っている。当代屈指のマンガ研究者である点は、全く動かないと思う。
これからまた、少し夏目房之介を読んでみる。
小難しいことを面白く説明する職人芸おすすめ度
★★★★★
マンガ学、マンガ批評、いずれもなんぼでも「小難しく」語ろうと思えば語れる分野である。実際、本当に厳密な議論をしようとすると、難解な専門用語を使わないといけない水準にマンガ批評、マンガ学は達していると言える。
それを重々承知しつつ、「わかりやすく」「面白く」説明しようという著者の努力は敬服に値する。小難しいことを面白く(わかりやすく)語れてなんぼ、という職人的矜持を感じる。であるので、「BSマンガ夜話」をときどき見ているような人であれば、本書は「買い」である。途中の小難しいところは、とりあえず飛ばしておきゃあいいんで。
もともと創作者=「手の人」として出発した筆者の面目躍如たるのが、p75「手の記憶」という指摘だろう。漫画家にはコトバだけで聞くな、必ず作品を見せて聞け、というのは極めて貴重な研究ノウハウである。このようなマンガにまつわる様々な「暗黙知」を、言語化し共有できる「形式知」として多数析出させてきたという点で、筆者の功績は大きいと思う。
マンガ批評の教科書おすすめ度
★★★★★
マンガ批評はここまできた。
その到達点とこれまでの批評史、展望とさらなる問題提起が、手際良くかつ必要十分にまとめられている一冊。
現在このような本を書くのに、夏目房之介以上にふさわしいひとはいないだろう。氏が批評を進めていく上での、最先端を行きながらも素朴さを忘れない粘り強い姿勢、安易な理論化に対し注意深く距離を置こうとする誠実さには感服する。そしてなにより、行間(彼の表現を借りて「間白」と言おうか)からは、マンガに対する愛情がありありと伝わってくる。
本書はマンガ批評における、現時点で最上の教科書と言えよう。
もとより関心を持っているひとはもちろん、これから学ぼうと思っているひとや、これまで関心のなかったひとに多く、ぜひ読んで欲しい。
記述はきわめて平易でわかりやすい。
まるでマンガのようだ。冗談ではなく。