オノマトペ(擬音、擬態語)、キャラクターの感情表現、フキ出しなど、マンガを構成する要素への考察。さらに、さまざまな種類(大、小、縦長、横長)のコマの連続によってストーリーにリズム(緊張と解放)を持たせる方法や、コマを重ねることによる多層的な時間表現の解読のあたりはとくに新鮮でした。
「言われてみれば確かに」という箇所を言葉にできる人はそんなにはいない。最初は普通にファンとして(入り込んで)読み、その後評論家としてクールに読む、この2つの読み方を行ったり来たりできることが重要だろう。
まじめな研究に値するおすすめ度
★★★★☆
橋本治が『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』にまとめられる文章を書いていた1970年代は、まんが評論の歴史では一つの山をなしている。批評の筆をふるいたくなる作品・作者が輩出した時代だからでもある。
しかし、それ以前以後にくらべて評論の中身に本質的進歩があったかというと、それはまた別の話である。
質が変わったのは、吉本隆明の『言語にとって美とは何か』の方法論の影響を受けた夏目房之介が、まんがの要素は個々のコマに描かれた絵だと規定し、そこからまんがを分析しまんが理論を立てていこうとしてからである。夏目の弱みは、まんがを言語などその他の表現との差異と同一の関連において捉えることが少ないことである。
「まんがとは(三浦つとむ謂うところの)主体的表現が客体的表現に優先する絵画」というのが1970年代に出した、私の個人的なまんがの定義である。
夏目のまんが評論が出るまで、この規定に基づくような評論(あるいはそれに類する評論)が出てくることはあるまいと、批評家一般の能力に関して高をくくっていたから、夏目の出現はややショックであった。あの『文学評論』『文学論』をものした学者の孫と知って、さもありなんとは思ったが。
まじめな研究に値する書である。
その割に、買ってから何年も経つのに、検討をさぼっているのだが。